スタッフ紹介 長谷川 洋二郎
スタッフ プロフィール
![]() |
|
昭和61年4月 | 日本鍼灸理療専門学校 入学 |
昭和63年5月 | あん摩・マッサージ・指圧師 免許(国家資格)取得 |
平成元年3月 平成元年5月 |
日本鍼灸理療専門学校 卒業 鍼師・灸師 免許(国家資格)取得 |
平成2年9月 | 秦野市にて開業 |
平成22年5月 | どんぐり堂 マッサージを開業 現在に至る。 |
ごあいさつ
当院のホームページにお越しいただき有難うございます。
アットホームでザックバラン、そして格安感のあるお値段で安心してマッサージにかかっていただけるのがどんぐり堂です。
私は昭和63年にマッサージの国家資格を取得して以来、30年間マッサージ一筋にやってきました。自分の性に合ったみたいで、この仕事は飽きがきません。
当院のコンセプト
どんぐり堂では❝10年後も今と変わらない若さと活力❞をコンセプトにお客様の施術をさせていただいております。
私の歩み
平成元年3月…渋谷にある鍼灸学校を卒業 | 本来、昭和64年になるはずの所が平成元年に変わった、まさにその平成元年最初の卒業です。 |
---|---|
平成2年9月…卒業の翌年神奈川県秦野市で治療院を開業 | 木造アパートで住居兼治療院を開くことが貧乏学生たちの夢でした。私もそんな夢の場所を探し求めて結局小田急線を下りに下って町田→本厚木→伊勢原、そして秦野市まで行った時、ああいいですよという物件にめぐり合い開業しました。
本当に人の体を癒し治す根本的治療法を見つけることが私の当初からの目的でした。治療院をやりながら丸10年間悪戦苦闘しました。どこでもそうでしょうが、よくなる人はよくなるけどよくならない人はなかなかよくならないのです。それが現実でした。 私は治療という迷路の中でいつしか立ち往生してしまいました。しかしこのままではいけないというハッキリした感覚がありました。それが私を国外へ向かわせました。どこか外国へ半年とか1年行って頭を冷やしたいと理屈抜きに切に感じました。 そして平成12年の9月から1年半を海外ですごすことになりました。日本を離れてみると頭がけっこう冷えてくるものです。100Km離れたところまで行くと日常の意識から解放されるといいますが、正に至言でした。頭がけっこう冷えて幸いにも治療法のインスピレーションを得ることができました。 |
平成14年5月…東京への移転 | それで再び、都内に戻る決意を固めて世田谷区に居を定めるも右も左もわからない状態で先ずは出張治療から始めて2,3年したら治療院を開こうと思いましたがそれは甘い甘い本当に甘い見通しでした。結局永遠と丸8年間出張治療をやることになりましたが、ようやく物件に恵まれ開業する運びに... |
平成22年5月…どんぐり堂 マッサージ 開業 | 覚悟はしていたとはいえ3ヶ月間一人のお客様も来ませんでした。本当に生き地獄のような日々でした。4ヶ月目にようやく一人の大柄な女性が見えました。 嬉しくなって知人に「4ヶ月目にして初めてお客さんが来た」と電話すると、「長谷川さんよ、3ヶ月間誰一人来なくて4ヶ月目に初めて来たということは、次の3ヶ月も一人も来ないぞ」と言われました。確かに図星でした。 開業しました。ビラをまきました。お客様が来ました。そんな時代ではなくなっていたのです ...つづく |
院内風景
![]() |
![]() |
腰痛の治療例
![]() 治療前 |
![]() 治療後 |
揉み返しのイメージ
一言で言えば〝下手ということになります〟コリをほぐそうとするあまり、りきんだ力を入れ過ぎて細胞や繊維組織をつぶして壊してしまうせいです。
クッションシートを例にしますと、気泡のツブツブを強く押しつぶしてしまったような状態です。
りきんで自分の体に固く力を入れて押すとそうなります。
![]() ソフトな圧 |
![]() りきんだ圧 |

![]() |
![]() |