被害者側のお母さんたちは二重の意味で苦しんでいるという。ひとつは勿論ヒ素ミルクのせいで我が子が病気になってしまったことだ。もうひとつの苦しみは、実は我が子(赤ちゃん)が、そのミルクをやろうとすると火が付いたように嫌がったのに自分が無理やり飲ませてしまっていたという経緯がそこにはあったという。
その結果としてヒ素ミルク中毒ということで自分が被害者であると共に加害者でもあるという構図がそこにあるという。
赤ちゃんはお腹が空いてミルクが欲しい筈なのに、そのミルクなり母乳を嫌がるというのは、それは“わがまま”をいっているのではなく、赤子の自己防衛本能が働いて有害なものを拒否していると考えるのは不自然な飛躍であろうか。
そう考えるなら“母乳 片方 臭い しょっぱい”というワードは、単なる塩分濃度の問題でなく有害性、有毒性という視点にまで広げて考える必要性が少なくともありはしないか。
母体が、母親本人の意識にかかわらず、片方のオッパイに有毒性を集めることで片方のオッパイには安全なミルクが出るようにして我が子に与えようとしていると考えるのはどうだろうか。